Subscribed unsubscribe Subscribe Subscribe

成功か失敗かなんてすぐには分からない。万事塞翁が馬だよね。

いまオーストラリアの語学学校に通っている
今日は仮定法についての授業をうけた

仮定法とは、現実にはおこっていない仮想の話をするときのつかう構文のこと。

たとえば、僕は大学生だけど、大学生じゃないという仮定のもとで仮定法をつかって
If I weren't a college student,I would be working now.
(もし私が大学生じゃなかったら、いま働いているでしょう。)

要するに、「もし~だったら~~だよねー」という仮定の話、非現実の話をするときにつかう。
詳しい文法の話はここでは控える。

授業中

生徒に人気のイケメンドイツ語教師

先生「あなたの人生について仮定法をつかって文をつくってください(仮定法)」

イタリア人「もし両親が出会わなかったら、わたしは産まれてないだろう(仮定法)」

トルコ人「もし会社をクビにならなければ、いまの夫と出会わなかっただろう(仮定法)」

マレーシア人「母がオーストラリア人と再婚しなければ、オーストラリアにはいないだろう(仮定法)」

。。。

。。

ぼくは思った。

両親が出会わなければ生まれていないし(仮定法)、あの日ミニマリスト特集のテレビ番組を見なければミニマリストになっていないだろうし(仮定法)、好きなミニマリストブロガーのブログを見なければブログを始めていないだろう(仮定法)

そんな過去のすべてのことによって今の自分がつくられているなにかひとつでも違えばまったくちがう自分になっていただろう。 

あたり前のことだけどハッとさせられた。
そして人生でたいせつなことを発見した気がする。

 

失敗か成功かすぐには分からない

過去のすべてのことによってつくられている自分の一部には失敗も含まれる。
失敗をしない人間なんていない。

でも失敗や成功はそれを経験したときに決めることのできるのものではなくて、人生を振り返ってやっとわかるものだということ。

たとえばさきほどのトルコ人の例文では、会社をクビになるという一見すると失敗としか思えないことが、思わぬ成功をもたらした。

そのときは失敗だと思っていたことが人生という単位でみれば成功に必要不可欠なものかもしれない。

もし失敗をしたと感じたら、それを糧にして成功すればいい。
そうすればそれは失敗ではなく、成功のために必要だったものになる。

もしあの失敗がなければ、成功しなかっただろう。(仮定法)
そんな失敗にすればいい。失敗は成功に変えることができるのだ。

 

世界の王は失敗から生まれた

ひとつ例として世界の王とも称される王貞治さんのエピソードを紹介する

 

父・仕福は自分の出身地が医師と電気が全くなかったことから長男・鐵城を医師に、二男・貞治を電気技師にして、兄弟ともに母国に戻り働いてもらいたいと考えていた。だが第一志望だった進学校の都立墨田川高校に落ち、荒川の母校である早稲田実業学校高等部商業科に進学することになった。当時、墨田川高校には硬式野球部がなく、後に王はこの受験失敗を「人生の大きな分岐点の1つ」と振り返っている

「王貞治」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より。
最終更新 2016年3月7日 (月) 04:16  UTC
URL: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E8%B2%9E%E6%B2%BB#cite_ref-NettouNoSeiki_10-1

都立高校が不合格だったおかげであの世界の王貞治が誕生したといっても過言ではない
もし王貞治さんが都立高校に合格していたら、彼はプロ野球選手になることもなかっただろうし(仮定法)、通算ホームラン数の世界記録を樹立することもなかっただろう。(仮定法)

 

高校受験に不合格になるという一見失敗としか思えないものでさえも、人生という単位でみればむしろ成功とも考えられる。

ぼくの失敗

授業のなかで、この語学学校に来た経緯を書いて、それについて仮定法を使って文をつくるというアクティビティがあった。

ぼくの場合はこうだ。 

 

大学で英語の単位を落として留年してしまった

TOEICの勉強をした

英語に自信がついて、英語を話せるようになりたいと思い始めた

語学留学することにした

 

仮定法を使って仮定のはなしをする。
留年しなかったら、

TOEICを受けることもなかったし(仮定法)、英会話を勉強しようとも思わなかっただろうし(仮定法)、語学留学にいっていろいろなひとに出会うこともなかっただろう(仮定法)

 

ぼくは留年という失敗をした。

もちろん反省しているし、親には申し訳ないとおもっている。

留年が失敗だったのか、成功のために必要不可欠なものだったのか。
それはこれからの自分が決める。
ぼくは留年を糧にしてもっと大きく成長するつもりだ。

 

失敗しないひとはいない

受験に失敗した。浪人した。留年した。好きな人にフラれた。仕事をクビになった。
そんなすべての失敗には新たな成功のチャンスがあるとぼくはおもう。

だから失敗をしたと思ったら失敗を引きずるのはなく、反省して、次に進むことが大切だとおもう


自分を信じて、自分のえらんだ道を信じて全力を尽くすべではないか。

 そこには失敗したからこそ見える景色が広がっているはずだ